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飼鳥(撮影インドネシア) | ヤモリ(撮影インドネシア) | イグアナ(撮影インドネシア) |
鳥類はよく遊ぶので、爬虫類も気げんの良いときは遊ぶと思います。体温が充分でない時、飢餓状態や体の具合の悪い時は遊ぶ余裕はないでしょう。人間の遊びのように複雑ではなく、 普通の人間にはわからないようなささやかなものです。それを人間の遊びにあてはめてみたいと試みました。まず私が身辺で目撃した爬虫類の行動事例をとりあげます。
フランスの学者ロジェ・カイヨワ著、清水幾太郎・霧生和夫訳「遊びと人間」、岩波書店、昭和45年が有名なので、それを元に私は考えます。 カイヨワは生活への直接な利益を求めず、自由と楽しみを求めて行う身体的、精神的諸活動であるとし、4つに分類しています。
爬虫類たちがエサを求める行為、敵から逃げたり威嚇する行為、繁殖活動の行為は「遊び」ではなく本気です。私が見た爬虫類の意味不明な行為を「遊び」であったのか、カイヨワ氏の遊びの4つの分類にあてはまるか試みます。
私の庭は通路であって庭と呼べる立派なものではないのですが、それでもカナヘビたちが遊びに来てくださいます。ある若いカナヘビのことを書きます。 その春生まれのようで良く見かけるそのカナヘビは私ががちょっかいをかけなければ、傍にいます。ピョンピョン跳ねながら、私をじっと見ます。 お互い観察しあっているようです。草を抜こうとの手を伸ばせば慌てふためいて直線的に逃げていきます。 ピョンピョン跳ねている時の表情と一目散に逃げるときの表情が違うように感じられます。 幼い顔を持ち好奇心旺盛な目は人間を見、やってきたら逃げる鬼ごっこをしているように感じました。
考察・・・人間の私を見て楽しさを感じたかどうか本人に尋ねないとわかりません。なぜこそこそ逃げずに跳ねて私を見るのでしょう。若いので人間という生き物を観察していたとしたら、生きるための知恵を身につけるための学習行為であり、「遊び」ではないようです。しかし遊びながら学習するのは哺乳類・鳥類に見られます。
紹介しました若いカナヘビのことです。ある日私は草抜きでしゃがんでいましたが、傍らにいたこの若いカナヘビは、草を抜きながら動く私に驚いて松の木にからみついていたツタを よじ登りました。そしてツタの葉につかまり体をのせブラブラ揺れています。そして目を見開いて私をじっと見つめるのです。自分にとって危険かも知れない人間を 前になぜわざわざ落っこちそうなツタを選んでよじのぼりブラブラ揺れるのでしょう。人間が恐ろしいのなら一目散に逃げればよいのに。私が観察しようと顔を近づけると、 ツタから落ちて逃げていきました。やはり人間は恐ろしいのです。私はその若いカナヘビがブランコに乗りながら怪獣の映画を見るようなスリルを味わっていたのではないかと考えました。 この若いカナヘビは次の春、ひとまわり大きくなって現れました。私が指を2センチぐらい近づけても逃げませんが、それ以上近づけると逃げていきました。 前年からいつも一緒のお友達のカナヘビもいました。このお友達は人懐こくなく人間を見ると一目散に逃げる性格です。今はもう2匹とも見かけません。
考察・・・ツタの葉と枝につかまりブランコをしながら人間を観察していたその姿はイリンクスではないでしょうか。
私の学生時代の話になります。授業中黒いアオダイショウが校舎の壁を垂直によじのぼっていく姿を見ました。3階建ての校舎であったのは記憶しておりますが、 壁の材質はコンクリートに何か吹き付けているものとしか覚えていません。私の後ろの席の人が最初発見し、私の背中をつついて教えたのが発端でした。やがてクラスメートが騒ぎ出し、 先生が「うるさい。何を話しとるか」そして事情を知った先生は他の先生に連絡をとり、職員室にいた先生方がヘビの尻尾をつかんでひきずり落としました。 最後はわかりません。先生が「授業中よそ見をするな」と叱ったからです。アオダイショウが何故校舎の壁をのぼる気になったのかわかりません。 鳥の巣があるとしたら屋上しかないのですが、田舎にある学校でしたので食べ物なら校舎にのぼらなくても田んぼにいけばカエルがたくさんいます。 わざわざ校舎の3階の垂直の壁をよじ登る必要があったのでしょうか。自分の運動能力を試すかのような意気込みを感じます。 ヘビがどうして垂直の壁を登ることができるのかという疑問は謎でずっと私の心の中にひきずっていましたが、最近(2013年)ネットを見てヘビの体のしくみを知りました。
考察・・・校舎の上に鳥の巣があったのかねぐらを探していたのかどうかわかりません。力を試していたとしたらアゴーンであり、綱渡りのようなスリルを味わっていたとしたらイリンクスです。
ヘビは赤ちゃんの時から人間に追い払われてきたのでしょう。ほとんどのヘビが人間を見ると逃げてしまうか身構えてしまいます。 威厳のあるヘビになかなか会えないものですが、姫路城の裏の堀で悠々と泳ぐアオダイショウを見たことがあります。スピードはありましたが、 敵に追われたりエサを探しているようでもありませんでした。手足のないヘビが水の上を這うように泳ぐのもヘビの身体能力の不思議です。 私には怯えもなく泳ぐアオダイショウが水泳を楽しんでいるように見えました。
考察・・・生活上必要があって泳いでいたのか、余暇活動として泳いでいたのか不明です。緊迫した状態で泳いでいなかったので、例としてとりあげました。
我が家のカメはスリルを感じる遊びはやりません。遊びをリクリエーション活動として考えて記述します。
日光浴はいわずもがなで説明ははぶきます。温浴は30度ぐらいのお湯ですが、手足をのばしてまぶたをを閉じてじっとしています。熱いのかなと心配もします。 足はまっすぐに後ろにのばしているときと、右前足と左後ろ足あるいは左前足と右前足の組み合わせでのばして寝ています。甲羅の中は斜めにのびているはずです。 30度のお湯がカメにとって熱いのか健康にいいのかわかりません。観察中です。
考察・・・日光浴は健康保全の必要があって行っているので、カイヨワ氏の「遊び」にあてはまりません。温浴も同じです。リラックスタイムと呼べましょう
カラスは恐ろしいようで、大きな鳥の飛行影が自分に迫ると身をすくめ水に飛び込みます。カラス以外の鳥の声は日光浴をしながら声のする方向へ首をかしげ聴いています。 怯えた表情はないです。何も変化のないプラスチックケースや水槽の中では鳥の声を聴くのが楽しみなのかも知れません。
考察・・・鳥の声を聴いてカメは楽しいと感じているのでしょうか。音の発生源が自分にとって敵になるか確かめているのでしょうか。耳を傾けながら日光浴を続けています。ペットのカメはエサ取りの心配もなく水とレンガだけの世界で退屈な人生を送っています。鳥の声に退屈さをまぎらわしているのでしょうか。カメである自分を離脱し音を楽しんでいたならミミクリーですが、本人の気持ちがわからないので不明です。
家の中に放しますと歩きまわります。たいてい風呂場やトイレの方へ歩いていきます。水槽の水は風呂場で準備しており、ときどきカメを放している場所でもあります。 私の犬は風呂場を嫌がりますのでカメを放して置いても襲われる心配はありません。かといってシャンプーや石鹸がついてしまってはいけないので放置もしません。 トイレはカメの水槽の汚水を流しているところなので気になるのでしょう。 犬はカメと遊びたいと思っていますが、カメは犬と反対方向に歩きます。試しに寝そべっている犬の腹にカメを置くと、犬は好意を示し、カメを舐めようとします。 カメは犬の腹から背中に登っていきました。カメは犬の好意のサインより、暖かい背中の方に関心があったようです。カメは犬の体温の暖かさにうっとりした表情を見せもしますが、 犬のヒラヒラした舌にも興味があるようです。危険なのでここまでです。2頭を離します。 風呂場とトイレ以外でカメが向かうところは暗い場所です。居心地のよい隠れ家を探しているのだと思います。
考察・・・自分にとって居心地のよいところを探したり、犬と関わらないように歩いていたのなら、生活必要上のことなのでカイヨワ氏の「遊び」にあてはまらないです。
私のカメは日中は屋外の押入れケースで過ごします。夏場は藻の発生が激しく、すぐにグリーンウォーター化します。ある程度のグリーンウォーターはよいのですが、 あまりにも濃くなりすぎるとヘドロ化し害になります。よって水換えは気がついたら行う程度ですが、新しい水にすると大好きな日光浴をせずに水の中を泳ぎ回ります。 押入れケース内ですから泳げる範囲は知れているのですが、我々人間がプールサイドでビーチボードにつかまってバタ足をつづけているかのように壁に向かってバタバタしています。 そしてよっこらしょとレンガによじのぼっては飛び込みをします。
考察・・・水が新しくなり、変化を感じてあわててバタ足をくりかえしているのか、喜んでいるのかわからないです。押入れケースを洗うとひととおり点検するかのように動き廻ります。そしてレンガをよじのぼり点検するとダイビングをして、壁に向かってバタ足を繰り返します。本人が住居が清潔になったことに喜びを感じ興奮し体で表現していたとしたら、イリンクスということになります。
足場が悪くても浮き島や布団や布地の上をよじのぼります。ずり落ちても何度か試みてどうしても無理ならやめます。
考察・・・力試しをしていたのならアゴーンです。精神集中やグラグラ感に陶酔を得ていたのならイリンクスです。
私のカメは退屈なプラスチックケースか水槽から外に出してもらえると歩き廻る遊びをしますが、人間にあてはめると「遊山」という言葉があてはまるでしょう。 野生のカメを見かけると日光浴をしているか、水の中を泳いでいます。野生のカメもいごごちのいい所を求めて「遊山」しているのでしょう。
考察・・・遊びではなく、居心地のいいところを探す生活行動ではないでしょうか。好奇心を満たす楽しみ、運動する喜びであるハイキングをカメは行うのでしょうか。不明です。
(例2)(例3)(例8)(例9)でイリンクスの可能性があるとしましたが、野生の爬虫類は一瞬油断すれば死をともなう時間を送っています。自ら身に危険なめまいを好むか疑問です。
小鳥のブランコ乗りに近いようです。また飼鳥のようにはしゃいで毎日乗るわけではありません。また飼鳥もブランコに乗るのが好きな性格とそうでない性格の個体がいます。
人間に高い所に登るのが好きな人と嫌いな人がいるのと同じです。小鳥を見ているとブランコに乗るのが上手な小鳥が「俺の場所だ」と陣取っていることがあります。
他の小鳥が来るとつつき落としたりします。テリトリーを示す「場所取りごっこ」も考えられます。しかしブラブラ揺れる足場の悪い場所をなぜ選ぶかです。
人間の遊びにたとえるのならアスレチックが近いようです。
アスレチックは危険をまねかないように、神経を集中させながら、よじ登りやグラグラする上を歩いたり、ぶら下がったりして楽しみます。
爬虫類も生活に危険のない範囲程度にイリンクスを楽しむのだと私は考えました。
しかし爬虫類の遊びが見たさに人間の無理強いによる遊びは禁物です。一般人間の遊びの概念で見るものではないです。人間は激しい遊びを好み、その種類も様々ですが、
爬虫類は遊びを特に好んで行わず体調に合わせ自分にできる範囲で行います。また地味で毎日観察できるものではないです。
以上、ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」は人間を対象に著述されたものであって、爬虫類にあてはめるのは無理があるようです。私の知識不足と観察不足にも原因があります。私は挫折しました。爬虫類専門家・観察者の研究報告を楽しみに待つ側の人間になります。
爬虫類の表情の読み取りはむずかしいです。その爬虫類個体を追って観察を続けた者、爬虫類を見慣れた経験者でないとわからないものがあり、文章でどう表現すれば一般の人に伝えられるのか微妙です。見ていない人から「そりゃああんたの思い込みだ。」「爬虫類が遊ぶはずがない。」「爬虫類には感情がない。」といわれてしまうと理解してもらえないとあきらめてしまいます。しかし爬虫類に感情があることは確かです。人間を含め動物は食べ物探しや敵の襲来等、困難に立ち向かわねばなりません。うまくいかなければ悲しみの感情がまず起こります。「エサをとりそこねた」とか「怪我をして痛い」です。感情があるから運動したり聴いたりして何かを感じて動作しているのだと私は考えます。この分野の研究は爬虫類の行動や表情から心理を読み取ることのできる人材の育成が必要になります。それには科学的分析を付随させ、一般の人にどう伝えるかも課題に含まれます。
イグアナはなかなか飼えない生物ですので、私は興味深く読みました。そしてここにご紹介させていただきます。イグアナを飼育する著者の体験記、観察を一般読者にわかりやすくマンガで表現されています。著者名 細川貂々(てんてん) 出版 2006年 幻冬舎文庫
左の写真を見てください。さあて、ニワトリは何羽いるでしょうか。画像が悪くてごめんなさい。私も何羽いるのかよくわからず、3羽に見えたり4羽に見えたりだったのです。 ニワトリの雛は品種によって黄色とは限りません。 手前の白いものはニワトリなのかゴミかわかりませんでした。 答えはインドネシアから送られてきた元の良い画像で確かめると3羽でした。手前の白い物はニワトリでなくゴミ袋です。まず@草むらに隠れようとする母鶏、 A母鶏の尾羽の下にスズメのような模様の雛、母鶏を追いかけているようです。 B左下(写真の角部分)におしりが切れて撮影されていますが、同じくスズメ色の雛が地面をついばんでいます。
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ニワトリ(インドネシア撮影) | イグアナ(インドネシア撮影) |
右の写真はイグアナの幼体です。撮影者によると、「宿の部屋の玄関に2日間居座っていた。猫に食べられたかも」という話です。
哺乳類や鳥類は親や兄弟、仲間と遊びながら生きる知恵を身につけます。爬虫類は生まれた時から自分の力で生きなければなりません。 野生の爬虫類の成体は人間を見ると一目散に逃げてしまいます。 幼体はじっと見つめて、なにやら人間を観察しているような気配です。敵かそうでないか知恵を身につけようとしているのではないでしょうか。そう感じるのは私だけでしょうか。 動物は敵の来襲から常に身を守れるように鍛錬します。ニワトリの雛は草むらに隠れようとする母鶏を追いかけて「怪しいのがやってきたら逃げろ」と学びます。 地面をついばんでいるもう一羽の雛は食べ物探しの練習中なのでしょう。 右のイグアナは撮影者をじっと見つめています。敵か何者か観察しているようです。 その後、本当に猫に食べられたかどうか不明ですが、 判断する力と敵から逃げ切ることのできる強い個体であれば生きているでしょう。
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